「プリンス・エドワード島(カナダ)のアカディア人とフランス語法の成立」
長谷川秀樹(千葉大学助手)

 カナダは主に英語系とフランス語系住民で構成されていることは知られているが、
フランス系カナダ人=ケベックという誤解が見られる。ケベック問題は決して英語系
住民とフランス語系住民の対立ではなく、ケベック州とカナダ連邦の問題に過ぎない。
 カナダ国内で「フランス系カナダ人」とは「ケベック以外のフランス系カナダ人」
を指す場合が多い。同じフランス語を共有しながら州をもち、相当な経済力や人口規
模を有するケベックと、政治的にも経済的にもカナダの中心とは言えないその他のフ
ランス系カナダ人の利害は一致しないのである。
 「フランス系カナダ人」は約100万人と推計されるが、そのうちカナダ大西洋岸の諸
州(ニュー・ブランズウィック、プリンス・エドワード・アイランド、ノヴァ・スコシ
ア)にはアカディア人(アカディアン)と呼ばれるフランス系住民が約30万人居住して
いる。アカディア人はフランスの三色旗の青地に「黄色い星(ステラ・マリス=マリア
の星)」を加えた独自の民族旗をもち、家系を基盤とする強固な連帯で結ばれた集団で
あるが、州人口の3分の1を占め、相対的にマジョリティを構成しているニュー・ブラン
ズウィック州のアカディア人と州人口の1割程度しかいないマイノリティであるプリンス
エドワード島のアカディア人とではその文化社会的状況、政治経済的立場などが大きく
異なっている。このため、プリンスエドワード島のアカディア人は他のアカディア人に
対しては「島民」である、プリンスエドワード島の他の住民に対しては「アカディアン
」であるというアイデンティティを抱くのである。プリンスエドワード島のアカディア
人は「島のアカディアン」と自称することが多い。
 歴史的に見て、「島のアカディアン」とニュー・ブランズウィックのアカディア人と
は違う軌跡を辿っている上に、家族の系譜も異なっていて、婚姻関係も薄い。さらに近
年ではプリンスエドワード島のアカディア人の「英語化」が急速に進んでいることも大
きく異なる。ニュー・ブランズウィック州ではフランス語が公用語であり、フランス語
は手厚く保護ないしは促進されていて仏語を母語として生まれたアカディア人が成長す
る過程で「英語化」することは稀であるが、英語だけが公用語であるプリンス・エドワ
ード島では成長の過程でフランス語を放棄ないしは忘却するアカディア人が半数以上に
達しているのである。
 そうした中、1999年6月、プリンス・エドワード・アイランド州議会は州政府に属する
行政、司法、立法および関連施設(教育文化、福祉、道路交通、アルコール販売等)の
フランス語使用に関する法律を可決した。この法律は「フランス語業務法(French lan
guage services act)」と呼ばれる。法律の前文で島のアカディア人社会は「プリンス
・エドワード島の社会に大きく貢献してきた」ことと、「カナダ連邦は法律により英仏
二言語主義を定めている」ことを法制定の理由として述べ、行政、司法はフランス語で
の業務提供の申し出があった場合にはこれに応じるべきであることを本文で触れている。
つまり、いつでもフランス語で対応できるよう、行政や司法当局はフランス語の文書と
フランス語を使用可能な公務員を雇用することが義務づけられる。関連施設についても
同様である。立法に関しては州議会での法案、可決された法、修正案すべてを英仏両語
で書かれなければならず、これまでに可決された法についてもすべてフランス語の翻訳
を添付することが規定されている。そして英語法文と仏語法文は完全に同等であるとい
う規定も盛り込まれている。州が管理する交通標識のすべてはバイリンガルもしくはピ
クトグラムで表記されることが義務づけられている。
 法案の提出は98年春を予定していたが、かなりずれ込んで98年年末になってようやく
提出された。それは仏語業務導入にかかるコストが年間200万ドルから300万ドル(約1.
5億〜2.1億円)もするからである。人口13万人しかいないカナダ最小の州でこの支出は
極めて負担が大きく、結局カナダ連邦の財政援助を取り付けることになり、その手続き
のため法案提出がずれ込んだのである。
 フランス語の使用を州レベルで規定したのは、フランス語が「公用語」とされている
ケベック、ニュー・ブランズウィック州以外では、オンタリオ州についで2番目である。
しかしながら、プリンス・エドワード島のフランス語の法律はフランス語を「公用語」
に指定するものではないし、義務とされるフランス語での業務提供がなされなかった場
合の罰則や処理についての法的な規定が一切ないという問題を抱えている。言語を権利
としてみた場合、プリンス・エドワード島の法律はまだまだ不十分と言わざるを得ない。
 だが、この法律の制定はカナダ二言語主義の矛盾を問い直す意味では非常に意義のあ
るものと考えられる。カナダの二言語主義の欠点は、この理念が連邦政府にしか反映さ
れていない点である。つまり、より日常的な生活に関わる州や市町村などの施設、ある
いは民間施設では結局、どちらかの言語でしかサービスを受けることができないのであ
る。連邦レベルでは「公用語」であるフランス語は、ケベックとニュー・ブランズウィ
ック州以外では単なる「マイノリティ言語」に過ぎないのである。
 島のアカディア人は公用語であるはずの言語が使用されない、できない点で非常に疑
問を持っており、カナダの二言語主義に対して言語二元主義(language dualism)を提
示している。これは英仏二つの言語を「すべての州で公用語」にするべきだというもの
である。この意見に対しては英語の優遇につながるという理由からケベックが、コスト
負担につながるという理由から西部諸州は批判的である。プリンス・エドワード島のフ
ランス語使用に関する法律はこうした二言語主義の矛盾と各州の事情を反映して制定さ
れたものであることが伺える。
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