在日フィリピン人とエスニックメディア−−言語継承を中心に
(1999年9月25日多言語化現象研究会、報告:大阪市立大学大学院・高畑 幸)

1.在日フィリピン人にとってのエスニックメディア
 ここでは、在日フィリピン人向けエスニックメディアを、「在日フィリピン人を主
たる読者とした、フィリピノ語と英語を含む新聞・雑誌」と定義づける。なお、本報
告ではデータの制約から紙に印刷されたメディアのみを扱い、音声メディアは射程に
入れていない。
 パーク(1922)は、アメリカの移民の間で外国語新聞が人気があるのは(1)母語
による新聞発行への民族主義的情熱、(2)新しい環境に適応するため知識を得る必
要性、(3)母語で気持ちを表したいという欲求。「アメリカ化」に対するエスニッ
クメディアの効果は、「移民のための隔離的な制度(ここでは移民新聞)に関わるこ
とは、むしろより効率的な形で、移民集団がアメリカ社会全体の中で資源を勝ち取り
、支配的制度へと統合されていくことを可能にする。」と書いている。
 在日フィリピン人は、全人口約13万人、登録人口93265人のうち日本人の配偶者資
格が44545人、永住資格が8111人、定住資格が6751人(1997年、法務省統計)と、日
本人との結婚を通じて日本へ定住している人々の多さに特徴がある。すなわち、日本
においての定住の見通しがあり、子どもの養育と教育の過程で日本社会と関わりを持
たざるをえない。エスニックメディアは、母国の情報を得るだけではなく、日本社会
で生き残るための知識を得る道具として位置付けられる。

2.在日フィリピン人向け新聞・雑誌の現状
 今回、確認できただけでも、現在、全国で13紙が発行されている。
 発行場所は東京圏が圧倒的に多く、次いで名古屋、大阪はピノイしかない。これは
、スポンサーの確保とフィリピン人の人口量に関係があるものと思われる。(フィリ
ピン人は全国で約13万人、東京1.3万、名古屋7千、大阪3千弱の登録人口)
 日本最古のフィリピン人向けエスニックメディアは「カイビガン」(1991年12月〜
1999年6月)、二番目が「フィリピン・トゥデイ」(1993年1月〜現在)、三番目が
「ピノイ」(1994年2月〜現在)である。各紙を比較すると、1995〜96年に創刊され
たものが多い。一度創刊して数号出した後に廃刊となり、また別の名称で復刊するも
のもある。(カイビガン→ピノイ、Kabayan Dito't Doon →KMCマガジン、クムス
タカ?→クムスタ!)
 また、それぞれのメディアに国際電話会社のいずれかがスポンサーとしてついてい
る。多くのメディアが、新聞・雑誌発行の他に国際電話の代理店となったり、国際電
話のプリペイドカードを販売するなどして収入を確保している。もともとは国際電話
会社の代理店である会社がエスニックメディアを作り、実際には広告媒体として、顧
客サービスとして利用しているところも少なくない(ピノイ・ガゼット等)。また、
旅行代理店が国際電話の代理店を兼ね、エスニックメディアを作る事例もある(パラ
イソ・ジャーナル)。
 使用されている言語はフィリピノ語と英語が多い。(一般に、フィリピン人はフィ
リピノ語と英語を読むことができるが、フィリピノ語の方が気持ちがよく伝わるとい
う人が多い。)一部に日本語訳を掲載しているのはKMCマガジン、カイビガン(す
でに廃刊)で、完全バイリンガルはクムスタ!とピノイのみである。
 メディアの編集者は、日本人であるところがピノイ、クムスタ!、カイビガン(廃
刊)、KMCマガジン、パライソ(日本語版)である。その他はフィリピン人が編集
をしている。
 印刷をフィリピンでしているメディアもある。(マラヤ、フィリピナ・マガジン、
ラカンビニ等)コストが安くつくため、またフィリピン人が編集者の場合は印刷屋と
の交渉が日本語ではしにくいためだと思われる。

3.「ピノイ」について
 報告者が編集している「ピノイ」の発刊は1994年2月で、今月(1999年9月)で68号
を迎える。現在も発行を続けているものでは日本で2番目に古く、大阪では唯一のフ
ィリピン人向けエスニックメディアである。
 毎月1日、5000部を発行、全国のカトリック教会、フィリピン人グループ、国際交
流協会、個人に無料で発送している。個人定期購読(約300)のみ一部100円で販売し
ている。
 編集体制は、発行人兼ビジネスマネージャー:フレンチ貴子(在日韓国人)、編集
者:高畑 幸(日本人)、フィリピノ語アドバイザー:斎藤ネリサ(フィリピン人)
が制作のコアメンバー。このほかに、翻訳のみをしてもらっているフィリピン人が2
人、日本人1人、発送担当の日本人が1人いる。
 編集方針として、関西在住のフィリピン人の様子を紹介するオリジナル記事を中心
として、フィリピン人がフィリピン文化を保ちながら日本で定着、日本社会へ統合す
る過程を記録することを目的としている。フィリピノ語、英語、日本語を用いて、フ
ィリピン人と日本人が同時に読めるようにしている。すなわち、日本人もフィリピン
人の生活の様子を細かく「読める」配慮をしている。

(中略)

4.第二世代の言語継承
 「ピノイ」では、1998年6月から「日本の高校教育」と題して、フィリピン人を親
に持つ子どもの高校進学と進路問題を連載している。ここでいう第二世代には、以下
の3つの立場で日本に暮らす子どもが含まれる。
 (1)日本で生まれ、親のどちらかがフィリピン人である子ども
 (2)フィリピンで生まれ、親のどちらかがフィリピン人である子ども
 (3)フィリピンで生まれ、両親ともにフィリピン人だが、母親が日本人と再婚し
たことで日本に来た子ども
 彼らの高校進学と学校生活のインタビューを通じて、フィリピノ語や英語との接触
、それらへの関心をまとめると以下の事例のようになる。

●事例(1)河野愛美さん、難波里恵さん…日本語主体の言語生活から、母親につい
てフィリピンに里帰りする経験を経て英語やフィリピノ語への関心が高まる。
●事例(2)アイリーン・ヴィダルさん…英語主体の日常生活から、母親のすすめで
日本へ留学し、日本語を修得。在比日本企業へ就職が決定した。
●事例(3)岡田ラケルさん、川崎ジェニファーさん…フィリピノ語主体の言語生活
から日本の学校生活へ飛び込む。徐々に日本語を修得し、日本で高校進学した(ラケ
ルさん)。フィリピンに一度戻ったが1年後に日本へ帰り高校進学、短大を卒業し、
在比日本企業に就職。完全な3言語使用者となる(ジェニファーさん)。

 ここでの結論として、フィリピノ語修得への入り口として英語があること、フィリ
ピン人母について里帰りをし、フィリピン側の親戚関係が堅苦しくなく快適であるこ
とが言語修得、コミュニケーション能力向上への動機づけとなっていること、多言語
の使用は就職に有利に働くと考えられるが、あまり楽観的には考えられない点を指摘
しておく。